コミュニケーションを密にするというディスコミュニケーション

情報共有できていないという問題への解決方法として「コミュニケーションを密にする」というのを見た。

矛盾

それは、勉強ができない生徒に勉強をさせるのと、お金が貯まらない人に節約させるのと変わらない。つまり、問題を逆に言っただけ、あるべき姿のひとつを表現しただけで、解決法としては正しくない。

「コミュニケーションを密に」を殊更におかしく思ったのは、そう言っている人自体がコミュニケーションを取れていないという再帰的な問題であるから。もし「密に」という人が、問題領域を詳しく知ろうとするなら、安易な「密にする」などの一般論的解決方法はでてこないからだ。

問題構造

組織がコミュニケーション不全になっているとき、その理由には下記のようなものがある。

  • メンバがコミュニケーション方法を知らない
    → コミュニケーションの質が低下して、情報伝達チャネルとしての価値がなくなる。
    → 報連相など、コミュニケーションが必要なタイミング、仕方を教える。
  • メンバがビジネスのコミュニケーション義務を知らない
    → コミュニケーションが「個人的な厚意」としての扱いになり、組織的役割がなくなる。
    → コミュニケーションは仕事の一部であると教える。
  • 情報を展開するべき人間が、その義務を認知していない
    → 上司/リーダーなどにマネジメントを教える
  • 情報を展開するべき人間のコミュニケーション品質が悪い
    → 情報を正確に伝達するスキルを身につけさせる(主語の明確化、客観/主観の区別など)
  • 情報を展開するべき人間の可処分時間が不足している
    → 展開業務を分担する
  • コミュニケーションのコストが非常に高い
    → 情報種ごとに、情報共有を支援するようなシステムを導入する(ボード、Wiki, ITSなど)

ようは、コミュニケーション不全になっている原因はさまざまであり、対処法も原因によりけりだ。安易に「コミュニケーションを改善しよう」などと言ってはいけない。