論文の剽窃は本当に罪なのか

STAP騒動で、論文の一部が他人の論文のコピペであったことが問題になっている。

著作権法があるのだから、独創性のある文章を無断転載すれば著作権法違反になることはもちろん間違いない。

しかし、それは外野がとやかく指摘することなのか? 著作権侵害は親告罪であるから「第三者は告訴できない」という事実の他に、そもそも論文には研究分野独特の価値観があると思う。

いったい何が論文として問題なのか

調べたところ、今回の問題について批評する人は、何が問題なのか良く分らないまま批判している節がある。現状ではSTAP論文は不正確で剽窃・盗用あり、再現不能などとにかく怪しいので、「いろいろ問題だからダメだ!」と書いている。

たとえば

  • 彼女の論文には不適切なデータの処理・加工・流用、そして、文章の剽窃などが認められることから、その研究内容の正確性に疑惑が向けられている。(他研究者の論文からの文章剽窃(盗用)1件目)
    • 内容が正しいかは、情報の出所とは無関係です。
      ○ 不適切なデータの処理・加工が不正確な結果に結びつく
      ? データの流用、文章の剽窃が不正確な結果に結びつく
  • 小保方ら論文著者はKC1などのOCRの誤認識に基づく誤記をそのままにして剽窃していることから、ほとんど剽窃文章の中身を吟味していないことが推測され、実験機器名に関しても実際には使用していないにも関わらずそのまま剽窃して記載してしまった可能性があります。(他研究者の論文からの文章剽窃(盗用)1件目)
    • 不正確であることを(意図的かどうか分かりませんが)ごっちゃにして「剽窃が問題」としています。これは批評に当たっては不誠実な態度だと思います。
  • 約100ページの論文のうち、冒頭の26ページを割いて幹細胞研究の意義や背景を説明しているが、うち20ページはNIHの「幹細胞の基礎」というサイトとほぼ同じ記述だった。(小保方氏の博士論文 20ページが米NIHサイトとほぼ同じ
  • 20ページがほぼ同じ記述ということは、これは完全に剽窃(ひょうせつ,Plagiarism)であります、他人の技術的成果物をクレジット表示することなく論文に取り込むという、学術論文では絶対にあってはならない禁じ手であります。(学生時代からの剽窃常習犯である小保方晴子さんは完全にアウト
    • たぶん著作権侵害でありましょうから「あってはならない」のはそのとおりなんですが、なんで「学術論文では絶対にあってはならない」んでしょうかね。個人的に、「絶対」と人が言うときは逆に根拠がないときだと感じています。
  • 研究・出版における不正行為には、明白なデータねつ造だけでなく、別の実験で得たスペクトルデータを偽って載せる、反応収率を過大に表現するなど細かいものもあります。また、論文の剽窃(plagiarism)にもさまざまな形態があり、参考にした文献を故意に引用しない、他の著者の論文から表現の一部を借りながら自分のものとして発表するなども含まれます。特に後者は、論文のintroductionで化合物や反応の重要性を述べるなど誰が書いても似たような内容になるときに起こりやすく、また英語を母国語としない研究者が他の著者のうまい表現を借りたくなる気持ちは分かるが、あくまで許されることではないと指摘します。(理研・野依理事長が研究・出版倫理と不正行為についてAdv. Synth. Catal.誌に寄稿
    • なんで「あくまで許されることではない」のでしょう? 法律で決まっているから?
      まーそうですけど、法律は事後的・人為的に設けられたものですから、ダメな理由は法律に依らずに説明されるべきでしょう。

私が思うに、STAP論文の論文としての問題点はただ一つ、内容が不正確であることです。剽窃は当事者間の利害ですから、第三者としての関係分野の研究者であれば、STAP細胞があるのかないのか、それだけが重要でしょう。小保方さんの人となりとか、ぱくりぱくられというのはどうでもよろしい。それらが気になるのは小保方さんと一緒に仕事するか迷っている人や、弁護士くらいじゃないでしょうかね。

論文は小説ではない

普段私たちが目にする文章というのは、事実よりも表現に価値があるものがほとんどです。小説がそうだし、歌詞もそう、面白いブログ記事、まとめ記事など。どれも、同じ情報をどうやって日本語として表現するかで面白さがかなり変わる。だから表現を他人にコピーされると困るわけです。俺の飯の種を盗むな、と。小説のコピーを勝手に売られたら自分の収入が減りますからね。

しかし、論文は小説などと異なり、表現よりも事実に価値があるものです。

たとえば同じようなものに、速報のニュースがあります。「オリンピックは東京に決定」など。こういったものは、どのメディアも、新規性・速報性・正確性を追求していて、表現を一番には考えていません。別のメディアが後から似た表現で同じ内容を配信することなど日常茶飯事だとは思いますが、どこも問題にしません。これは正確な事実を早く配信することが価値なのであって、表現はコピーされようがぜんぜん痛くもかゆくもないからです。一番に届けることが大切なんです。

論文も一緒で、新規性のある内容を、誰よりも先に発表することが一番大切です。ですから、確かに盗用は違法で権利者は告訴の権利がありますが、割とそんなことどうでもいい(というのが研究者の感覚)だと思います。そりゃもちろん苦労して考えたのを丸ぱくりされれば腹は立ちますが、それで何か自分の利益が失われたわけではないのです。ここが小説家と大きく違います。

今回、「剽窃」「盗用」が大問題だ(=単なる法律違反ではなく、外野が殊更に騒ぎ立てる必要がある)という態度の人たちは、何か論文を小説と勘違いしているんじゃないでしようか。だから、指摘は確かに正しいのですが、なんだかサッカー選手を土俵上に連れてきて「なんで転んだんだ!」という感じです。門外漢なら黙っているのが大人の対応だと思います。

著作権法を盾にした批判は有益ではない

先日、某Kシェフが他店のレストランの料理を評点していて、あまりに美味しかったのか「うちの店でも出します!」と断言し、周囲の共演者に咎められても再度提供すると言っていたのを見ました。見ててドン引きでした。料理のレシピは著作権法の保護下にありませんから著作権侵害には当たりませんが、もしこれを川越シェフがクレジットなしで提供するとすれば「剽窃」にはあたりそうです。でも、合法です。

なんか腑に落ちません(私は)。 思うに、現状の著作権法は不自然です。

そもそも、人権や所有権と異なり、「著作権」というのはなんだかはっきりしない権利です。

確かに、私の作ったソフトウェアを勝手にコピーされると困りますし、小説だってそうでしょう。でもレシピもそうでしょ?

私は法律の専門家ではないですが、

では、著作物であるレシピ本を見て実際に料理を作って販売したら、著作権侵害にあたるのでしょうか?

これは著作権侵害にはあたりません。なぜなら、レシピという「表現」のもとになっている調理方法そのものは「アイデア」に過ぎず、アイデアを具現化することは著作権者だけに認められている権利ではないからです。

著作権法は「アイデア」ではなく「表現そのもの」を保護するという大原則があります。たとえば、「未来から猫型ロボットがやってきて、便利な道具を出してくれる」というアイデアを使ってマンガを描いて出版しても、イラストやストーリーが独自のものであれば、問題はありません。
同様に、「アイデア」であるレシピを使って料理を作り販売しても、著作権侵害にはあたらないのです。(「料理レシピ」に著作権はない!?)

とのこと。じゃあ論文の背景なんかは誰が書いても同じになりやすいのだから、著作権法の範囲とはあまり言えない、すくなくとも積極的に保護すべき対象とはいえない。論文の文章の盗用は権利者の利益をほぼ害さないのに大問題で、料理のレシピは権利者の利益を害す可能性があるのに合法だから問題ではない。

でもまてよ、あるレシピから同じように料理を作って同じように盛りつけしたら、その料理は「レシピの表現そのもの」だから、保護の対象なのかな。小説文章が物理的なインクではなく言葉という概念として保護されていることから類推すると、似たような盛りつけの料理が「ある著作物」として保護される可能性があるってこと? 文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属さないからダメ? でも料理には美しさも必要でしょ。わけわからんよ著作権法

こんな分けわからんことになるのは、批評が「著作権法違反か」となっているからです。できたら、「その転載によって権利者の利益が害されたか」を基準に批判すればよいのではないでしょうか。もともと創作者の権益を確保することが著作権法の理念だと思いますし。

論文の文章を盗用することの問題

というわけで、論文の文章の盗用は、第三者的には大したことじゃないので、批判はどうかと思います。

ただ、もっと大きな視点では研究論文における盗用は悩ましい問題です。簡単に言うと、盗用したから研究がダメなのではなく、研究計画能力が低いから盗用するんです。そして、研究計画能力とかの訓練のためには、盗用せずに自分で考えることが必要です。

優れた研究計画を立てられる能力があれば、論文の文章なんかわざわざ盗まなくても自分でちゃちゃっと書けるんですよ。小説じゃないから、美しい表現なんて要らないし、目的と結果が明らかであれば、そこまでの導入や、立証すべき事実なども自明です。それを実際に実験することは大変でも、論理を考えることは難しくない――能力が足りていれば。

ですから、盗用がたとえ事実上問題にならなくとも、30歳前後の研究者は自分の言葉で研究の意義を説明しないといけない。それが研究の論理を組み立てる訓練になるからです。(30後半になってできないようなら研究者向いてない。)

ところで「剽窃」って?

Wikipedia の定義によれば、「剽窃」は必ずしも違法とはいえないんですが、なんで批判している人たちは「剽窃」っていうんですかね。第三者が批判するなら「盗用」とか「侵害」としないと大きなお世話だと思うんですが。

不正確だと批判している人たちが、あまり正確さを重視しないのかな。

それとも、よく考えず、「思い至らなければ故意ではないからセーフ」ということなのかな。

大学関係ではよく剽窃NOといっています(慶応大学が剽窃=違法とする根拠は謎ですが)。教育においては、たとえ相手が同意しようとも、レポートや論文に転載するようなこと(剽窃)は有害だからです。つまりコピペすんなと。違法性の問題ではなく、自分で考えろってことを言いたいので、これは「剽窃NO」であっていますね。